「もはやCDなんて買わない、欲しい音源はデータ配信で」のスローガンで何年も過ごしてきたぼくですが、久しぶりにCDを買っちゃいました!
12月21日に発売したSMAP最後のアルバム?「SMAP 25 YEARS」を購入しちゃったわけなんですよっ!
ぼくにとって、SMAPの音源って上手い下手とかそういう次元ではなくて、とにかくひとつひとつの楽曲にひとつひとつ思い出があり、聴いているだけでひどく懐かしくなるんですよね!
曲を聴くだけで、その当時の思い出がよみがえる・・・それが実は一番良い曲なんじゃないのかな・・・とぼくは思います。
今回は、そんなSMAPの楽曲を聴きながら、自分の青春時代を振りかえったり、ひたったりしながらSMAPの曲と思い出を書いてみます。
キタムラの思い出なんてどうでもよしっ!という方はスルーしたってくださいねw
SMAP 25 YEARS
SMAP 25 YEARS はCDのパッケージに貼ってあるシールの通り、ファン投票によるSMAPのベストアルバムです。
楽曲のラインナップを眺めるだけで「あ~、この曲が流行った頃はこんなことがあったな~」なんて思い出して目頭が熱くなります(笑)
ぼくの青春は、Disc-1 と Disc-2 あたりですね~。
それではちょこっとだけ、ぼくとSMAP楽曲との思い出にひたらせてくださいw
笑顔のゲンキ
SMAPもぼくも若かったw ぼくは中学生のとき。
当時「姫ちゃんのリボン」というアニメが放映されていて、その主題歌がこの笑顔のゲンキでした。少女漫画をアニメにしたものですが、ぼくには妹がいた関係もあり、よく一緒に観ていました。
当時ぼくが好きだった女の子が、姫ちゃんのリボンの主人公の女の子とよく似た活発でショートカットが良く似合う女の子で、このアニメを観るたびに、彼女と重なって嬉しくもあり切なくもあり・・・うん、青春やね。
笑顔のゲンキを聴くと自動的に当時の甘酸っぱい気持ちを思い出しますw
因みに、その好きだった女の子には特に告白することもなくそれっきり。人気があったその子に地味で目立たないぼくが告白なんて出来るわけありません!!w
青いイナズマ
高校の修学旅行は長崎へ行きました。各クラスごとに観光バス1台が割り当てられていて、当然バズ毎にお付きのガイドさんがいます。高校生くらいだとバスガイドさんが美しいかどうかってかなり死活問題ですよね(笑)
しかし、うちのクラスのバスガイドさんはお世辞にも美しいとは言えず、どちらかといえば・・・(お察しください)。隣クラスのバスガイドさんがドエライ美人さんで、自分も含め我がクラスの男子達はこのバスガイド格差に嘆き悲しみましたw
そんな当時、青いイナズマがブレイク中で、道中の車中にてみんなで狂ったように青いイナズマを歌い、曲中にある「ゲッチュ!」をその美しくないバスガイドさんと共にやっていたのを思い出します・・・うん、青春やね。
余談ですが、長崎での自由行動で、ぼくらの班はホテルへ帰る時間に30分ほど遅れてしまい、先生に怒られたあげく夜に正座させられて、さらに般若心経の写経をさせられたのを覚えています(ぼくの高校は仏教系の私立高校でいろいろ厳しかった)。
らいおんハート
ぼくは高校生の時にコンビニでアルバイトをしていました。
そのバイト先の先輩には、川口さんという看護学校へ通う綺麗なお姉さんがいました。川口さんはぼくの教育係で、入った当初から話す機会が多く、ぼくの知らない世界の話をたくさんしてくれました。教育期間が終了後も川口さんとシフトが一緒になるのが楽しみで仕方がありませんでした。
そんな当時、コンビニの有線からは毎日のように「らいおんハート」が流れていました。
考えてみれば年上のお姉さんに恋をしたのはこれが初めてだったんじゃなかろうか?はじめて大人のチューを教えてくれたのもこの川口さんだったっ!(鼻息フンフン)・・・
うん、青春やね。
・・・今、川口さん何してるんだろうな?きっと立派な看護師さんでお母さんやってるんだろうなぁ・・・(遠い目)
オレンジ
高校を卒業して何を血迷ったのか「音楽でメシが食えるようになるっ!」という無謀な目標をかかげて生きていくことになりますw
夢と希望に燃えたぎっていた二十歳のときに、あるライブハウスで作詞作曲家の「市川喜康」さんにたった一度だけお会いする機会がありました。市川喜康さんは、オレンジやTriangleなどの楽曲をSMAPへ提供した方です。
音楽業界のことをいろいろと聞くことができ、「音楽であたると儲かるんだなっ!」と当時のぼくは自分が売れる妄想でいっぱいになりました(笑)
まあ、この数年後やっぱり目が出ずに引退することを当時のぼくに教えてやりたいです・・・まあ、青春やね。
そんなことを思い出す「オレンジ」ですね~。
夜空ノムコウ&世界に一つだけの花
音楽活動に一層力を入れていた22歳くらいかな・・・当時のぼくはプロのツアーミュージシャンの下について、大阪や淡路島など主に西日本中心のツアーへ帯同して勉強していました。いろいろ大人の世界を垣間見て衝撃の日々でしたw
その後、独立して、西日本ドサ回りツアーやショッピングモール、老人ホーム、幼稚園、学園祭、お祭りなどのイベントライブ等で年間120本ほどのライブをこなす日々。
ぼくは当然有名ではありませんでしたので、ショッピングモールなどでライブをやるときには、どうやって自分と曲を知ってもらうかを考えなければなりません。
そのようなことから、当時ブレイクしていた「世界に一つだけの花」や絶対に間違いのない「夜空ノムコウ」を最初の1曲めに歌うということで、まずは人をステージへ呼び込むという手法をとっていました。
音楽活動を辞めるまでに何回歌ったかわからないほど歌った思い出深い曲。
当時使っていたのコード譜とアコースティックギター
(ギターはOvation Super AdamasⅡ)
この時期は、本当にいろいろな場所を訪れて、たくさんの人とふれあいました。この時期がぼくの人生のなかで、もっともとヤクザな日々で普通ではあまり味わうことのない経験を味わった時期・・・これもまた青春なのかな?
その後音楽活動から足をあらってサラリーマンを経て今のぼくになるわけです。
ここで、ぼくとSMAPの楽曲との思い出は幕をおろします。
あとがき
ぼくの一番多感だった時期15年間のどっかしらには必ずSMAPの曲がありました。嬉しい思い出もつらい思い出も浮かび上がってきました。
「SMAP 25 YEARS」の中にアナタの思い出を掘り起こす楽曲はありますか?
SMAPはたとえ解散しても思い出と共に有り続けるんだろうな・・・。